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東日本大震災1年(その10)


いったん、まとめます。 もちろんあくまで私の考えです。

震災の時は選挙戦の真っただ中で、街宣の中でも取り上げていましたが、自分の目で見ていない事が、非常に気がかりでした。
本当に今回行けたことで少し気が納まりました、手伝ってくれた誠ちゃんに感謝です。
昨年の劣悪な状況でなかったのは被災者の皆様の気持ちを分かち合うには足りないかもしれませんが・・・。

ただ、1年が経過した今だからこそ、見ることが出来た場面も多くあったのではないかと、感じます。

南相馬は、進入制限が解除された数日後だったことから、直後に近い状況を見ることが出来たのだと思います。
車や重機が至る所にゴロゴロしている光景は、映画のシーンのようでしたが、重い現実と認識させられました。

相馬は、太平洋から平野が広がる穀倉地帯なのでしょう、「田んぼ」なのか「宅地」なのか解らない広大な荒れ地といった感じですが、がれきは整理されつつある状況でしょう。

せっかく、三大名勝の松島も通ったのですが、素通りしてしまいました、すこし残念。

石巻は、まだ取り壊していない建物も多く残っており、「復興にはまず取り壊しから」ではないでしょうか、ということはこれからまだがれきが出てくるでしょうし、現在のがれき受け入れ場か学校などの公共施設だということも問題だと考えます。

女川は、津波の被害が大きくもう建物はあまり残っていませんが、がれきの処分が間に合っておらず、とりあえずの仮置きから進んでいないように感じました。

南三陸から気仙沼までも津波の被害が大きく、残る建物は鉄骨やコンクリートの大型の物だけで、取り壊しもほとんど終わり、がれきの仕分けも進んでいるように感じました。
現地では人の手でがれきを仕分けしているのに、そのがれきを持ち込むことに否定的な意見が有ることに憤りを覚えます、日本全体で復興を支援しましょう。

全体を通して、やはり津波の被害が大きいので、同じ地域でも海抜の高い所は多少問題はあっても以前どおりのようでした(実際は中に入ってみないと解りませんが)、所どころ屋根の上にブルーシートが張られているといった感じで、明らかに古い建物は潰れていましたが、津波に遭わないところと遭ったところでの差が有ると思います。

もうひとつ、これも私見ですが、復興が進んでいる所は行政機関の被害が少なかった所なのではないかと感じました。
町が海周辺の海抜の低い所に集中していた町と、山側の少し高い所まで町が広がっている町で違っているように感じます、その町の地形に影響されますが、町の何割かが山側で残っている所は、動き出しているように感じました。
やはり、非常時には行政が最前線で働らか無ければならないと思います。