地元千坂の北陸自動車道北側は現況、農業振興地域に指定されています。
しかし、海側環状道路の整備により地域の形状が変化するため、農業(稲作)に向かない、地域となってしまいるうえに、穫れたお米も価格の下落で、後継者も育ちにくい状況となっています。
そんな中で、少しでも「千坂のお米の価値」が上がらないものかと思い、農業の六次産業化を目指し「日本酒」の製造に挑戦しました。
以前から親しくして頂いていた武内酒造の武内社長に相談したところ、「コシヒカリでもお酒は出来るよ」の言葉から、武内酒造さんの仕込みに、一部「千坂産コシヒカリ」を加えて頂くことを快くお引き受けくださいました。
9月議会終了後に始めたのですが、幾つもの問題にぶつかります。
まず、地元の方にお米を探していただいたものの、すでにほとんど出荷していて、なかなか見つからず、ようやく300Kgの「千坂産のコシヒカリ」が見つかり、精米へと進むのですが、今度は300Kg(金沢周辺では1トンが目安)という少ロットでは、金沢周辺で精米することが出来ない事が判ります。
精米機メーカーへ問い合わせるなどしますが、先方の返答待ちなどで時間を用し、ようやく見つかったのが「岡山県の片山産業」さんで、急いで発送、精米(コシヒカリなので70%が限界とのこと)を経て、戻ってきたのが11月4日となってしまい、お米探しから一ヶ月以上たっていました。
翌5日の「糀」の仕込みに始まり(この間、西田町連会長には何度もお手伝い頂きました)11日まで、酒造りの常道「三段仕込み」で、精米度が60%に達していない事を除けば、吟醸酵母や低温で熟成するなど「吟醸」の製法で、作って頂きました。
熟成を待つ間「ラベル」作成です。
名前は、独断と偏見で「千坂」の「千(せん)」としました。
ラベルの文字を、千坂小学校の児童に書いてもらおうと、坂根校長に相談、こちらも快くお引き受けくださり、3年生の習字の時間を使って書いて頂き、100数枚の中から、1枚(東杏次朗くん)をこれまた独断で選ばせて頂きました。
28日間の熟成から、絞り、瓶詰め、青年部のみんなにも手伝って頂き、ようやく製品となりました。
販売においても、地域のお酒屋さんや居酒屋さんなどにもご協力頂くなど、ここに至るまで、多くの皆さんにご協力頂いたこと、本当に感謝ですし、少しは地域に貢献できたのでは無いかと、充実感でいっぱいです。
くわえて、来年も造ることを望む声があることは、ありがたく次に向けての準備にワクワクしています、来年も造る予定ですので、皆さんよろしくお願いします。